2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
ペットうさぎ専門ウェブサイト「うさぎといっしょ」 うさぎブログペット

DE JH2CMH

  • CQ CQ CQ ・・・・・
無料ブログはココログ

トップページ | 2007年1月 »

2006年12月22日 (金)

デジタルモード

SSTVやRTTYについては、時々雑誌の記事で見ていた。

昔とは違い、普及したPCを使えば優れたソフトが公開されていることあり、比較的簡単に運用できることも情報としては知っていた。

数年前、SSTVでの交信を見てみたくなり、ヤフオクでI/Fを購入。

早速トライしてみた。

結果は・・・・・

7033でのSSTVによる交信は見えたものの、意思疎通はSSBで行いながら花やペットの写真を送りあうだけの交信しか確認できず、免許の変更申請をしてまでする価値をみいだせないままフェードアウトしてしまった。

ところが今年、JOOLでPSK31によるロールコールを始めるから参加しないか?

との誘いを受け、手元のI/Fを使ってできそうなことが判り、再挑戦することになった。

ソフトの設定やら機会との接続を教えてもらいながら、PSKの受信に成功。

最初はCWでチェックインした。

電波形式の表示が2度変わっていたため変更申請にすこし手間がかかったが、

届出だけで運用できるとの指示を総通から受け、早速運用開始となった。

7033のSSTVは、昔の(今は知らない)2mのメインCHに似た雰囲気で

なかなか出辛かった。

14のRTTYではEuあたりとも簡単にQSOできた。

8月にはSSTVのコンテストがあり、14/21で多くの方と交信できた。

面白いかどうかはともかく、またひとつ新しい世界が開拓できたことは間違いない。

2006年12月20日 (水)

和文

高校のクラブ局で電信魂(?)を叩き込まれて以降、

HFのSSBと50MHzのAM以外に、HFのCWで運用することが多くなった。

所謂ラバスタであったが、洗脳された通りアマチュア無線の本道を行っている気がしていた。

開局当時は同じ北区のローカル同士だったJH2FZF局は、現在は同じ日進市民でまたまたローカルの関係である。

彼は通信術の授業のある高校へ通っていたため和文が大得意で、バグキーを巧みに操っていた。

当時は1アマ取得には必須事項でもあり、和文を学習する条件は揃っていたのだが、

7メガあたりで、交信開始後いきなり「ホレ ・・・・・・」と和文攻撃を何度か受けるうちにすっかり和文嫌いになってしまった。

その傾向は日進で再開後も変わらず、移動局仲間では有名な「熊さん」に度々襲われるうち一層拍車がかかっていた。

欧文のCW'erでもやたらと「?」を送信するJA1C◆■のような人もいるので、和文だけを毛嫌いすることもないかと考え始めたのが開局35年を過ぎたあたり。(遅すぎ!)

今年の3月ごろから和文の練習を再開。

エレキーでの送信はまだおぼつかないながら、縦振りで挨拶くらいなら何とかなる所までたどり着いた。

和文以外にもデジタルモードなど今年は未知の分野に挑戦したが、

それでもまだまだ、アマチュア無線には挑戦できる分野が残ってる。

奥の深い趣味であると今更ながら感心している。

JA2YDP

入学した高校にあったクラブ局がJA2YDP。

高校受験のためQRTを余儀なくされていたこともあり

とりあえず入部した。

なぜか他の同級生の入部者はYL3名だけで、免許取得者は自分一人だった。

3名のYLは、翌年JR2BYZ,JR2CSP,JR2DNCで相次いで開局。

「花の高2トリオ」として一時名古屋地区の6mで話題となった。

彼女たちが先輩から電話級取得の教えを受けている傍ら、自分は電信の手ほどきを受けていた。

「アマチュア無線の本流は電信にあり」「電信のできない者は半人前」のような洗脳に近い教えを受けたことは、結果として大変ありがたい事であったといえる。

勿論当時の送信機はTX88Dに代表されるカソードキーイングで、サイドトーンなどはなく、勿論縦振り電鍵しか使ったことはなかった。

多くの高校・大学のクラブ局同様、JA2YDPも廃局になって久しい。

2006年12月19日 (火)

先輩

実際にアマチュアバンドを聞いたのは、

家にあった6石の2バンドラジオで聞いた7メガのAMだった。

しばらく聞いていた後、SWLというものがあることを知り

「JA2-SWL」でレポートを送り始めた。

間もなくJARLに入会しSWLナンバー(JA2-5177)を取得した。

その頃同級生のTも開局準備をしていることを知った。

Tは親からFT-200を買ってもらっていた。

自分もそれに便乗し、自作の50MHzAM送信機と合わせてFT-200で開局申請をした。

このFT-200が何故か100W機で、電話級の我々が開局申請するには10Wへの改造とその証明が必要だった。

ファイナルの6JS6Aの片方のプレートキャップへの配線を外し、

電源トランスのタップを変更した。

FT-200でよくQSOを聞いていた近所のOMの一人、JA2WAE三浦OMに改造証明をもらうことにした。

三浦OMの家にはそれまでも時々お邪魔して、「CQ DX! This is JA2 Worked All Europe」というのを「カッコイイ!」と感激しながら聞いていた。

当時三浦OMは高校生だったのだが、後に自分が同じ高校に入学したのは全くの偶然。

さらに大学を出た後交信したJE2WAEも同じ高校出身だったのも凄い偶然!

関東の大学に進まれた後も、FTV650をまねて作ったトランスバータ(FTV651!)を見せてもらったり、随分長い間お世話になった。

今もお元気でしょうか?

恩人

アマチュア無線のことを知ったのは、小学生のころから購読していた「子供の科学」から。

ちょうど叔父の家族も模型やらラジオやらの製作を楽しんでいて、

夏休みに叔父の家に泊まって免許取得の勉強もした。

一番お世話になったのは長兄の従兄弟(JA2QPW)で、

工学と法規の勉強だけでなく、ラジオや無線機の組み立ても教えてもらった。

叔父も少し遅れてJA2WCKで開局したが、何故か2mのFMばかりやっていたので

交信する機会は得られなかった。

JA2QPWもJA2WCKも既にサイレントキー。

ここまで長く楽しんでいることを喜んでいてくれるだろうか?

原点

1970年の年末、局免が届くのを首を長くして待っていた。

同時期に従事者免許を取った同級生の所には、JH2BCQというコールサインが発給され、TS510で21メガに出ていた。

友人Tと私の所にはなかなか届かない。

ちょうどJA2コールが無くなった時期で、「あと半年早く免許を取っていたらなあ・・・」と言いながら「JH2」のコールサインが届くのを待っていた。

思えば、SWL時代から親しんだHFのAMもほとんど聞かれなくなり、コールサインまでJA2がなくなってしまった。ちょうど時代の変わり目だったのだろう。

そして遂に、Tの所にはJH2CLD、私の所にはJH2CMHの免許が届いた。

ちなみに現在のJH2CLD局はTではない。

とりあえず

中学生からの趣味「アマチュア無線」に関する極めて狭い世界のブログです。

HP(http://jh2cmh.idou.net)に2つ掲示板があるのでブログは不要と思っていましたが、

ものは試しと思って作ってみました。

HPにリンクを張るまでに発見されますかどうか?

トップページ | 2007年1月 »

最近のトラックバック