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2007年6月29日 (金)

変り種(無線機編その1)

スターの700ラインはまさに幻の名機だが、

実はスターの無線機を使った事がある。

それはSR-200。

開局直前の7メガがAMからSSBに代わりつつある時期、

自作の高1中2ではプロダクト検波がなかなかうまく動かず(作れず)

SSBの復調に苦労していた。

そんな時偶然手に入れた本格的SSB受信機である。

IFが455KHzではなく1600KHz付近のため、

シングルスーパーでも21メガが良好に受信できた。

ダイアルのメカは糸かけだったはずだが、

大変スムーズに動き選局も楽だった。

古い雑誌の広告でも見たことがなく、幻の受信機と思っていたら、

最近ネットオークションで送信機とセットで「200ライン」として出品されていて驚いた!

ずっとSR500とかSR550などと同じく受信機だけのシリーズと思っていて、

まさかセットの送信機があるとは考えもしなかった。

友人はTS510やFT200を持っていて、SSBでバリバリ交信していたが、

自分は50MHzのAMに出ながら、いつかSSBの送信機を(しかもPSNで)作ろうと

本気で思っていた。

(結局50MHzのAM送信機を数台作っただけに終わったが・・・)

変り種(アンテナ編その1)

HB9CVを沢山作ったことと、

印象的な飛び方をしたダブルダイバシティーについては既に書いた。

今回は少し変わったアンテナについて思い出してみよう。

実用性がそこそこあって、長期間使ったものから・・・

① バードケージ

アンテナハンドブックに21MHz用のものが載っていたので、50MHz版を作ってみた。

2エレのCQを変形しただけで、いたってシンプルな構造で、

ラワンの角材をL金具でつないだだけの骨組み。

運用縮小期だったため、母屋の低い屋根(5m位)に上げた状態で

大して期待はしていなかった。

勿論回すことは不可能だったが、FB比の悪いのが幸いして、

西へも東へもそこそこ飛んだ。

大抵の相手局は興味を示してくれて、話のネタという面でも貢献度は大きかった。

この経験をもとにして、5年位前に「5Aスペシャル」を移動用で作ったが、

50MHzの移動を本格的にやっていないこともあり、こちらは目だった活躍はしていない。

② ZLスペシャル

 HB9CVを最初に作った頃、CQ誌などでも時折見かけたアンテナなのでご存知の方もあるだろう。

300ΩのTVフィーダーで作った2組のフォールデッドダイポールを位相給電したような形のアンテナである。

当時21メガあたりで数回使っている局を聞いたが、TVフィーダー自体が絶滅危惧種(?)の現在では再現は困難であろう。

③ J形アンテナ

 こんなアンテナ誰が使うの?というようなものだが、7メガの逆Vしかアンテナがない時期に

逆Vの給電点を上げている竹ざおに50MHz用をぶら下げてみた。

ホイップよりはよく飛んだはず。(笑)

2007年6月28日 (木)

移動運用(その6)

7メガのSSBによる移動運用の出来事を振り返ると・・・・・

自分の使った無線機(FT-101ES,FT301SD)以外で起こったこと。

雨降りの車内で友人が運用していると、TS-820Xの内部で「パチッ」と音がして

発電機のヒューズが飛んだ。

車内の湿度が上昇したため電源部がスパークしたらしい。

確かTS-511でも同じ事があった。なぜかTRIOの機械ばかり。

電圧が高いのか、配置や配線に問題があるのか?

電卓のようなコントローラがあったIC710は高価な機械だったが

一度電源が落ちると、次に電源を入れた時周波数がリセットされて7.000の表示となるため、

運用していた周波数に戻れなくなった。

バックアップ機能がなかったのか?

所有者の設定が悪かったのか?

それにしても、当時は1時間で50局から100局くらいは交信していた。

今では呼ばれ続けていても20局前後しかできない。

新市誕生時でも30局を越えるのがやっと。

原因は、

①「あるふぁ~、ぶらぼ~う、・・・」のようにコールの一部だけで呼んでくる局が多いこと。

「AB△どうぞ」

「こちらは、じゅりえいと・・・・・・」と、倍のやりとりをしないと相手のコールサインがコピーできない。

いつ頃からこうなったのかな?

②「こちらのQTHは・・・・チャーリーナンバーは・・・・、名前は・・・・漢字解釈は・・・・」

「これで×回目の交信ですね。QSLはすべていただいています・・・・・」

のようにTPOお構いなしの交信パターンが多い。

初めての交信なら住所&名前位は挨拶のついでに言ってもよいが、

何度も交信しているのに、長々と話されることが多い。

交信履歴を読み上げるに至っては、何のためのHamlogかわからない。

先日の某コンテストでは、ナンバーだけ送ったら、QTHと名前を教えて欲しいと言われた。

50MHzあたりでCQが空振りしていたときなら構わないが、

HFで珍しくパイルになっているのにこの有様。

「早ければよいものではない!」と叱られるかもしれないが、

状況に応じて簡潔に終わらせることも覚えて欲しい。

最近の言葉で言えば、「空気を読め!」ってところかな?

2007年6月27日 (水)

移動運用(その5)

当時はJCGという概念がほとんどなかった。

現在の「全市全郡コンテスト」も「オールシティーコンテスト」で、

郡部からは「59市外」なんてナンバーを送らされた。

それはともかく、7メガのSSBでは「JCCサービス」が盛んに行なわれていた。

ちょうど自身のJCCを数え始めていた頃でもあり、

ひたすら「サービス」を呼びに回っていた。

50MHzの移動のついでに出るときは、「市外」ばかりだったが、

ある時「自分が『市』移動したら面白いのでは?」ということに気づき、

3分割した竹をマストとして持って行き実行してみた。

日曜の7メガでは空き周波数を見つけるのが大変だったが、

それさえクリアすれば何時間も連続して呼ばれることにも気づいた。

無線機は名機FT-101ES。津島市や大府市では「WACA最終市!」という声も聞き、

津島市では日帰り運用で、2局合計のべ700交信を越えた。

(HamlogどころかPCすらない時代なので、カード書きが大変だった。)

その後、無線機がFT-301SDに代わり、発熱に悩む事もなくなった。

このパターンでの移動は休眠に入るまで続いたが、CWはほとんど運用しなかった。

(局数が圧倒的に少なかったため)

住宅事情のための休眠だったのだが、今考えれば移動のみで継続できた。

なぜそういう発想にならなかったのか?

無線機を実家に置いてきたこともあるし、発電機などを貸し出した某仲間が行方不明になり

また買い直す気にならなかったこともある。

2007年6月26日 (火)

移動運用(その4)

個人局としての移動運用の話になると、以前CQ誌に掲載された内容と重複してしまうことに気づいた。

「高い所へ移動して、自宅からはできない地域と交信する」

この楽しさは格別であることも前に書いた。その時期の設備は、

無線機は、IC-71,FT‐620B,TS‐600と替わっていった。

アンテナは基本的に6エレ八木(ルソー製を移動用に改造)

同じくルソーの屋根馬(1.5m以上の高さ)とマストをルーフキャリアに乗せて運んだ。

電源はホンダの小型の発電機。

FD以外では所謂「担ぎ上げ」をせず、駐車場にルーフタワーを建ててステーで固定。

車内または東屋で運用というスタイルだった。

今とは違い50MHzが賑やかな時期だったので、1時間以上もコールが途切れないことはしょっちゅうで、家から出られる7MHzの移動には、なかなか考えが及ばなかった。

和文(続き)

昨年ブログに書いた頃よりは幾分上達した実感がある。

「上達」といっても大したことはないのだが、

一応定型分は暗記受信でその内容を理解できるようになった。

送信も時々幾つかの文字をど忘れしてしまうことが時々あるが、

なんとか文字を綴って意思疎通はできている。

とはいえ、「和文局」と錯覚されている方からは、

こちらの送信速度を無視して高速ホレ攻撃を受け撃沈。

符号の長さ&間隔が個性的な方の符号は相変わらず聞けない。(聞かない?)

などなど課題も多く残り、拒絶感はかなりなくなったものの

「和文が楽しい」というレベルからはまだ程遠い。

CQホレを出すことも呼ぶことも、まだできていない。

移動運用(その3)

クラブの移動運用は、3.5~50MHz(途中から1.9~144MHz)のオールバンドに出る大規模なもので、コンテストに参加(メンバーとの親睦会)が目的だった。

個人(数名)の移動は、50MHzで自宅からは交信できない所まで飛ばすことが目的で、

6エレ八木を山の上に上げて1エリアを狙ったものが多かった。

今では有料道路も開放され、ちょうど頂上付近がその境界だった

額田郡額田町も南設楽郡作手村も消滅してしまった「本宮山」はその定番で、

多い時は、GWとお盆そして秋と年3回も泊りがけで行っていた時期があった。

土曜夜に行っていたクラブのロールコールも現地から度々実施した。

自宅からはなかなかできない静岡や1エリアから受けるパイルアップは、

喜びも格別で嬉々として交信していた。

同行者が6mに出ている傍らで7MHzを運用することもあったが、

まだSSBをメインで運用していた時期である。

(今のようにコールサインの一部だけで呼ぶ人はいなかったと思う)

『移動≒50MHzでの運用』と思い込んでいた時期である。

2007年6月25日 (月)

移動運用(その2)

クラブの移動は一度だけ場所を隣町の牧場に変えたが、その年以外は15年位同じ場所に行っていた。

8月の第一土曜から翌日曜はその場所へ移動してFDに参加する事が定着した結果、

全国各地に散らばったメンバー、旧メンバーが予告なしに集まることも度々あった。

浴衣姿の男女が暗闇から突然現れて、「幽霊かっ?!」と思ったら、彼女との花火見物帰りの某氏だったり。

静岡から、50CCのバイクでやってきた旧メンバーがいたり。

残された少人数の会員でFDの移動を計画・実施するのは大変だったが、何とか継続して実施できているうちはクラブの存続に疑いを持つことも無く、クラブの存在意義もあった。

私も土曜に休みが取れず、仕事が終わった後急いで中央道を走って参加した時期もあった。

そうこうするうち、土曜の午前中から現地に行けるメンバーが見つからなくなり泣く泣く移動を断念。

数年後、土曜の午後からでも集まることのできる近場で再開したが、書類の提出やQSLカードの発行などの事後処理が停滞。

結局2年でそこからクラブ局として参加することは終わってしまった。

参加部門も「社団局」という形がなくなり、マルチオペでもクラブのコールサインである必要がなくなっていた。

更に、大半のメンバーが「現役」ではなく「セミリタイヤ」状態のため、運用技術が極端に低下。「迷惑なクラブ局」になりかけていることにも気づいた。

FDを現役復帰のきっかけにして欲しい反面、「あのクラブのOPは・・・・」という評判になっても困る。

相当悩んだ結果、当面シングルオペ個人局としてエントリーしながら、希望があればマルチオペにすることに決定。

そうしてからもう10年近くなるが、ここ数年はアンテナを共有した個人局2局がシングルオペで参加する形態になっている。

オペレーターが3名・4名と増えればマルチオペに戻ることもできるのだが・・・

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