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2020年12月18日 (金)

捜索継続中

アルバムを整理していて見つけた写真。

Kido

拡大すると

Kidoup

大学の合宿で、長野県飯山市戸狩小境へ下見を含めて3回行きました。

当時は中央道を伊北インターで降りて、塩尻-松本-長野経由で行くしかありませんでした。


インターを降りた後しばらくして通った橋がこれです。

最初に通った時に、橋の名前を見て車内が大騒ぎになり、

翌年には少し前からカメラを構えて、車内からの撮影に成功しました。

現在はライブカメラもあるようです。
長野国道事務所 (mlit.go.jp)

 

ところで何の合宿だったのかというと、

Photo_20201218172601

将棋部!

ちなみにこの写真は、左側が私を含めた2・3年生で右側は1年生なのですが、

なぜか左側は全員長袖を着ていて、右側は全員タンクトップという謎の光景。

勿論、狙って撮った訳ではなく、後で見て気付いたものです。


不思議なことといえば、

折角遠出をしたにもかかわらず、現地で電波を出すことを全く考えなかったのも意外です。


朝から晩まで将棋をしていた訳ではなく、合宿中には車を走らせて新潟県堺まで行ったこともあり、

当時は、7MHzや50MHzで移動運用をしていたのに、本当に不思議です。

 

せめてハンディー機でも持っていかなかったのか?


大学の部室へ無線機を持ちこんで移動運用をしたことはあるのに、

どうして一考すらしなかったのか・・・・

2020年12月12日 (土)

発掘品整理

昨日掲載したアルバムをスキャンしてデータ化しました。

台紙の汚れが目立ちますが、写真はかなり見やすくなりました。

Fd20201212_00007

220201212_00000

Fd20201212_00001

Fd20201212_00004

Fd20201212_00006

Meeting

私の運用している写真はマイクを握っているものばかりでした。

やっと1枚だけ電信をやっているものを発見しました。

Cw

当時は、縦ぶりで1時間くらいは高速で運用していましたが、

この写真の左手で押さえて黒いものは、シングルレバーのエレキー(EK-9X)のようです。

今のように、エレキー(しかもメモリチャンネル付き)が無線機に内蔵されているなんてことは想像できませんでした。

某局がメッセージを記憶できるエレキー「MK-1024」をF.D.に持ってきたときは大変驚きました。

CQやナンバーの送信が大変楽になり、飲食しながらの運用も容易になりました。


ただ、給油のため発電機を止めて電源が落ちると、せっかく書き込んだメモリ内容が消えるのが難点で、

TTLをC-MOSに替えれば電池で駆動できるのにと、回路図を眺めたことを思い出しました。

 

 

2020年12月11日 (金)

捜索(発掘)中

先日載せた写真の原本が出てきました。

Img_4325

掲載したものは順に

74年11月,75年3月,76年2月でした。

このアルバムにはクラブのF.D.のものもありました。

Img_4327

Img_4328

Img_4329

Img_4330

初めて移動した1975年から4年間のものです。

懐かしい顔ぶれが揃っています。

今でもイベントでは顔を合わせる方や、

年賀状だけはやりとりしている方、

そして消息不明の方も。


1979年以降のものも保管してあると思いますので、

また探してみようと思います。


このアルバムにはこんな写真もありました。

Img_4331

実施時期は不明ですが、参加者が多い!

私はちょうどストロボが反射しているところにいました。

2020年12月 4日 (金)

開局前、そして・・・

今と違い、写真を撮ることが簡単でなかったため、当時の画像は殆ど残っていません。

以前公開したことのあるものばかりです。

これは開局前のSWL時代

Swl

色々なものが散らかっています。

少しは片づけてから撮影すればよいのに・・・

高1中2で3.5Mcと7McのAMをよく聞いていました。

プリセレやQマルチ、50Mc用のスーパーリゼも写っています。


開局のため、3.5/7McのAM送信機を作っている間にAM局が激減してしまいました。

仕方がないので、HFは友人のFT-200(10W改)を共用する形で申請し、

彼の開局第一声の後、友人宅から21McのSSBでのQSOが初交信になりました。

緊張していたためログには時刻の記載を忘れてしまい、

約束したはずのQSLカードも来なかったので、

すっきりしない初交信になりました。(涙)

自宅での開局は50McのAMでした。

時刻は忘れませんでしたが、こちらも交換を約束したQSLは未着。

どちらも「初めての交信です!」と興奮気味に言いましたが、

何ともモヤモヤした初交信になりました。


この頃の写真は残念ながら1枚もありません。


自宅のシャックの写真で一番古いものは恐らくこちら。

1975

部屋と部屋の間の空きスペースにテーブルを入れて、

ローカル局から譲ってもらったFT-400Sを設置し、

自宅から本格的にHFの運用を始めました。

姉のコールサインがありますので、1974年頃と思われます。


そのしばらく後、念願の400ラインを手に入れて、

最初のSWL時代と同じデスクへ戻りました。

Shack

その翌年、プレハブ小屋を建ててもらいそちらに移りました。

1976

壁にはWAJAではなくHAJAが貼ってあります。


画像データが散逸しかけているので、

探しながらまとめていこうと思います。

2020年11月26日 (木)

50年前

開局申請をした50年前の今頃は、どんなコールサインになるかどきどきしていました。

当時はJARLの「保証認定」という制度があり、

JARLへ送った開局申請書類は、審査後に電波管理局へ送られるようになっていました。

審査が通った通知書が12月になって届きました。

Jarl20201126_00000

正式に行われていたかどうかは不明ですが、

近隣のOMから「これを持って電波管理局へ行くとコールサインを教えもらえる」と聞いたので、

一緒に開局申請をした友人T君と電監へ行きました。


そのとき聞いたコールサインを、この通知書にメモしました。

Jarl2

一緒に行ったT君のコールサインも残っています。

2人でお互いのコールサインをフォネティックコードで言い合いながら帰りました。

あの日から50年、こんなに長くこのコールサインと付き合うことになるとは思いもしませんでした。

 

 

 

2019年9月30日 (月)

25周年

明日10月1日で、日進市は市制施行25周年を迎えます。

9月1日の人口は91.246人と、市制施行時の約3倍になりました。


25年前のこの時、私は既に日進町の住民になっていましたが、

集合住宅の1階に住んでいて、無線は冬眠中。

夜のクラブ活動(笑)に勤しんでいた頃でした。


名古屋時代の地域クラブメンバーと記念運用を計画し、

9月25日から10月7日まで、町内の無人旧家(F.D.で度々登場する友人所有)で記念運用をすることになりました。


町作成の統一カードはこちら

100120190930_00000

私にとっては束の間の復活劇でした。

そのときのログを見ると、電信と電話はほぼ半々で 、

9/25~30(日進町)の交信数は126

10/1~7 (日進市)の交信数は371でした。


その2年後に今の家でカムバックしました。


平成の大合併時の「新市祭り」では、

市制施行日だけで約500局から1000局と交信していましたから、

思ったより少ない数に驚きました。


CWのリハビリも済んでおらず、随分ヘボなオペレートだったと思います。


新市祭りが異常な状態だったとも言えますが・・・

 

ともあれ、現在は1日1交信が途切れないように細々とオンエアしています。

2018年12月 4日 (火)

整流管と再会

Masumiさんからコメントがあったので調べてみました。

まずは先日のGDMの開腹写真から。

004

ヒーターを点けてみました。

005

真空管はMasumiさんご指摘の通り6AK5(Made in U.S.A.!)でした。

回路図はこちらです。

Gdm


こちらは随分前からあったGDMです。

002

IDEALの専用ケースに組んであり、

校正前なのか目盛板には何も書いてありません。

001

内部は大変綺麗です。

上下の真空管は、5MK9と12AT7でした。

調べてみると、1エリアのOMの設計による回路で、

オリジナルでは5MK9ではなく12Fが使われていたようです。

(このケースに12Fは入るでしょうか?)

003

5MK9は5球スーパーなどでお馴染みだった整流管でした。

私が送受信機を自作し始めた頃に、

整流管はシリコンダイオードにその座を譲ってしまいました。

確か、TX-88A,9R-59/JR-60では整流管が使われていて、

TX-88D,9R-59Dはシリコンダイオードになっていましたね。

そういえば、高出力のAM送信機の回路図で水銀蒸気整流管というのを見て、

「凄そうな名前だな」と思った記憶があります。

実際に使われている整流管を目にするのは、

自作の5球スーパー以来かもしれません。

2018年7月12日 (木)

Es

前の記事のコメントにも書いた通り、

HFの移動運用で酷使してきたIC-706MKⅡGMは、

あまり使っていないはずの430MHzの出力が出なくなりました。

元々酷使が祟って満身創痍状態だったので仕方ないです。

というわけで6&Dの後、シャックの再編成にとりかかりました。

片づけをしながら50MHzを聞いていると、

一昨日は7・8,昨日は6,今日は8の各エリアがEsで聞こえていました。

やはり、50MHzでEsによる信号を聞くとわくわくします。

最初のEsによる交信はいつだったか調べてみると、

46年前のちょうど今頃だったようです。

Es

その翌年は、

Es2

「今日はEsが出ていないかな?」と急いで学校から帰っていました。(笑)


Esとの初遭遇はSWL時代で、受信機はスーパーリゼ(超再生)でした。

AMは信号の強弱がSメーターの動きにはっきり表れるので、

より面白かったような気がします。

2017年7月19日 (水)

オールドファン

今日は将棋の藤井四段の誕生日だそうです。

地元では以前から時々ニュースになっていた「天才少年」ですが、

今や全国的に注目される存在になりました。

将棋に関心を持たれるご家庭も多くなり、

私も先月から小学生に将棋を教えるようになりました。

ただ、実戦を指さなくなってから30年以上経ちます。

リハビリのため古い雑誌を引っ張り出してきました。

20170719_00003

これはメジャーな月刊誌ではなく、少々マニアックな雑誌です。

表紙の「羽生四段」というのが時間の経過を感じさせますね。

20170719_00002

その年の新四段・五段とアマチュアの強豪が対戦するという企画で、

新四段のとき既に「天才羽生」と呼ばれていました。

対戦者一覧には先日藤井四段と対戦した

中田 功 新五段(当時)のお名前がありました。

この将棋ジャーナルには「詰め将棋研究室」というコーナーがあり、

当時は毎月挑戦していました。

現在はそれを解けるレベルではないので、

別途掲載の「初級向詰将棋」を毎晩寝る前に考えています。

この年の1月号からやり始めましたが、

これすら必ず1~2問解けないものがあり、

この12月号でやっと全部解く事が出来ました。

20170719_00001

電信から10数年遠ざかった後にカムバックしたときを思い出しました。

あのときも、以前のような暗記受信ができるまでには随分時間がかかりました。

何事も継続することが大切ですね。

2014年4月16日 (水)

Everybody Everywhere SSB

Ts3111

Ts3112

Ts3113

「SSBで世界の友と語ろう」を合言葉に

TS-511に「ワールド ファイブイレブン」

TS-311に「ワールド スリーイレブン」

TS-801に「ワールド エイトオーワン」というコピーが付いていました。

TS-311は、トリオ初の電源を内蔵したHFのSSBトランシーバーで、

PTTのハンドマイク付属とネオロードチューニングが使いやすさをアピールし、

価格もTS&PS-511の1/2で、

急増中だった電話級ハムのHFデビューに貢献しました。

トリオのHFSSB機で最初に店頭で見たのは、

JR-300S&TS-388S,JR-500S&TX40S/20S/15Sという、

送信機と受信機の組み合わせで、

唯一のトランシーバーTS-500でも電源とスピーカーが別でした。

388s 300s

Jr500s1

Ts5002

これらのカタログは実家のどこかにあるかも知れません。

TS-500の後継機TS-510は多くの方が使っていました。

5101

既に「SSBで世界の友と語ろう」と書いてあります。

310 ラインは当時では珍しい50MHzにも出られるHF機でした。

3101

現在の高級機のほとんどがHF+50MHzであるのを考えると不思議な気がします。

当時は必須だった送信前の調整は、今では不要なのが当たり前になり、

内部の温度が一定になりVFOが安定するまで送信するのを待つこともなくなりました。

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