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2009年10月 2日 (金)

Rig以外の なつかCM

Ideal

カツミのEK-9Xは、初めて使ったエレキーでした。

リレーの音がうるさいので、トランジスタスイッチに改造しました。

アイデアルのケースは小型のものを随分使った記憶があります。

Emoto

Maspro

エモテーターでビームアンテナを回すのは憧れでした。

また、マスプロの八木アンテナは50Mcで大変ポピュラーでした。

まさか、マスプロ本社(広告には「名古屋市外日進町」と掲載)

の近くで生活するようになるとは思いもしませんでした。(笑)

2009年10月 1日 (木)

縁のなかった名機

88a

高校のクラブ局には、9R-59+TX-88D+TX-26がありました。

現在、TX-88Aのジャンクを持っています。

Jr300s

388s

JR-300+TX-388Sは、無線機屋の棚に並んでいるのを一度みた記憶があります。

JR-200は見たことも、使っているのを聞いたこともありません。

Sr500

Sr600

SR-500のダブルスーパーというのは、凄いシステムでした。

SR-600はトリプルスーパー!!

スターの無線機は、一時期SR-200(ハイフレIFのシングルスーパー)をSSBの受信に使っていました。

50Mcのクリコンを付けて、自作送信機(キャリアコントロールのAM)とも組み合わせて使いました。

SR-600は先日ヤフオクに出ていましたね。

Fl10

100b

SSBの先駆者は八重洲!

100Bラインは近所のOM宅で見せていただきましたが、格好よかったです。

2009年9月30日 (水)

なつかCM(続編)

初歩のラジオにあった科学教材社の広告は、憧れのキットが満載でした。

0v2

SWL時代の憧れといえば何といっても59Dライン。(格好よかったですね)

Dline

そしてSSBといえば八重洲!

50line

広告のコピー通り、

私が「従事者免許取得→開局」と歩みを進めている間に

HFのAMはどんどん減って行きました。

2009年9月29日 (火)

なつかCM

昨夜の「カンブリア宮殿」に出演された社長が

アマ無線をされている写真が映りました。

そのコールサインをこれで調べてみました。

Callbook

SWL時代に大枚をはたいて買った(\1400)コールブック

40年前か?!

改めてページをめくると、懐かしい広告が目に飛び込んできました。

Natu3

TS-510、TX-599&JR-599、TX-310&JR-310

Natu2

FT-400S、FL-50B&FR-50B

Natu4

TR-1100、TR-7100

Natu1

IC-700R&IC-700T&IC-2K、IC-2F、FDAM-3

2009年9月17日 (木)

QSLの記入方法

某MLで、相手局の移動地の記入が話題になっていました。

これに関しては、辛い(恥ずかしい)記憶があります。


それは



開局して数年後、アワードというものの存在を知り、

いくつかのアワードをローカル局と競争して追いかけ始めた頃です。


QSLの所持証明を近くのOMにお願いした際、


「/2しか書いてない(移動地の記載がない)」

「Confirming QSOの記載がない」

「周波数に『MHz』がない」

「交信時刻の『JST/GMT』がそのまま」

など、様々な不備を指摘されました。


「そうなのか~」と思った私は、以後頂いたカードに上記のような不備(?)があると、

「アワード申請のため□□の記載をお願いします」と書いて返送していました。


数年後、あるOMから

「貴局の移動地が書いてないとカードが戻ってきたが、それはおかしい」

という内容の手紙が届きました。


信頼していたOMの指導に従って行っていたことが間違いという指摘には、

当惑するしかありませんでした。


はじめたばかりのアワード収拾の為に視野が狭くなり、

自分自身で真偽を確認しなかったことを反省させられた出来事でした。


それ以降は、自分が交信した分の相手の移動先だjけは

分かる範囲で記載するようにしていました。


最近はコンテストによる交信の割合が増え、

交信時に相手の運用地の詳細がわからないことが多いので、

相手の移動先は記入(印刷)しない形式にしています。


電話では「移動地明記してカードはジャールへ」というフレーズをよく聞きました。


この話題になると、今でも冷や汗をかきます。(苦笑)

2009年9月 3日 (木)

思わぬものと遭遇

ハムフェア前日は上野を徘徊していて、都立科学博物館へ行きました。

http://www.kahaku.go.jp/

数時間では回りきれないほど多種多様の展示がありましたが、

その中で一番記憶に残ったのはこれ。

Hakubutukan5

Hakubutukan6

記事や写真では見ていましたが、実物と遭遇するとは思いませんでした。

またその横にはこんなものがありました。

Hakubutukan7

私がコンピュータを学び始めたときはもう8008が出ていて、

4004は書物の中でしか見たことはありませんでした。

実際に勉強したのは8080で、本格的にプログラムを組んだのはZ80でした。

Z80については以前書きましたが、事務用ではなく工場のNCがメインでした。

2009年8月20日 (木)

いにしえの一斉移動

探したらQSLカードがありました。

1979

移動地は尾西市以外に、

高山市、碧南市、刈谷市、東海市、大府市、知多市、高浜市、知立市(2箇所)、宝飯郡一宮町、上野市の12箇所だったようです。


私たちのグループは3名でしたが、遊びに来る方が次々と集まり、

結局10名以上でワイワイやっていました。

2009年5月 9日 (土)

ベリカード

実家から出てきました。

Bcl1

Bcl2

熱心なBCLではありませんでしたが、

SWLの合間に時々聞いてレポートを送りました。

受信機は、6BE6-6BD6-6AV6-6AR5-5MK9の5球スーパー。


壁に貼って飾っていたので、日焼けしてかなり痛んでいます。

よく見ると、レポートした日付や周波数が記載してあるものと、

そうでないものがあります。

当時は全く気づいていませんでした。

2009年3月24日 (火)

古い教科書

1交信毎にIDの送信が必要か否か?

いくつかのBlogでご意見を拝見しました。


その1つ・・・「毎回IDを打つのでじれったい」

確かにずっと呼び続けている方にとっては邪魔くさいかも知れません。

でも、それによってパイルの秩序が保たれ、かえって順番が早く回ってくるはずです。

この点が伝わらなかったのは残念。(筆者の表現力&文才なしか?)


昨日の某局は、

「W3▽■ 599」

「TU」

「W6□▲× 599」

「TU」

といった調子でずっとQSOしていました。

相手のW各局が全く聞こえないので変だなと思ってクラスタを見たら、

その局のコールサインは勿論ありましたが、更に

UP1

NA/SA Only

との書き込みがありました。


UPなんて一度も聞かなかったのですが・・・


先日この局を聞いた時は確かに、

「(コールサイン) NA UP」 と打っていました。

OPが違うのかな?


さて、法規上で交信毎にIDが必要なのかどうかですが、

「同一局との交信では10分に1回程度でよいが、

 相手が変わる場合はこれに該当しないので毎回必要」

というのが大方の解釈のようです。


自分でも根拠を探そうとしましたが、発掘できたのは

Kyoukasyo2

初級アマチュア無線教科書は「電話級・電信級用」

                 古すぎますがな・・・・(笑)



いずれにせよ、本人が現物のCQ誌を持っていないのでは話になりませんので、

出勤時に少し遠まわりをして買ってこようと思います。


各Blogで7MHzのアンケート関連で掲載誌が届いたとの記載を見ましたが、

ウチには何故来ないのかな?

前回は発売日前に掲載誌が届いたのに  ボソッ

2009年3月13日 (金)

子供の科学

無線を始めるきっかけの1つが、

小学生4年生頃から読んでいた子供の科学で、

最初に作ったラジオが、子科に載っていた1石レフレックスでした。

その後、購読するものは初歩のラジオからCQ誌と替わっていきました。

Koka

今月号には、

アマチュア無線って何ができるの?

アマチュア無線技士の資格を取得する方法は?

という記事が載っています。

記事の中には、「家族や友達と交信するときでも、必ずコールサインをいうとともに、他の人も聞いているので、ルールを守ってまじめな交信をするようにしましょう」という一節がありました。

まったくその通りで、

「誰かが聞いている」という気持ちの欠如した悪い見本は撲滅しないといけません。

スタンダードの広告には

「ジュニアハムのみなさんを応援します」のメッセージがありました。


ちなみに、秋月がPICキットの広告を載せていて、

Cコンパイラ付学習キットや、パラメトリックスピーカー実験キットなんてのもあり,

大変な時代になっていると改めて感じました。Hi

2009年2月24日 (火)

RST

大昔の「初級アマチュア無線教科書」から引用

----------RST符号----------

  R-了解度(READABILITY)

1-了解できない

2-かろうじて了解できる

3-かなり困難だが了解できる

4-実用上困難なく了解できる

5-完全に了解できる

  S-信号強度(SIGNAL STRENGHT)

1-微弱でかろうじて受信できる信号

2-大変弱い信号

3-弱い信号

4-弱いが受信容易

5-かなり適当な強さの信号

6-適度な強さの信号

7-かなり強い信号

8-強い信号

9-きわめて強い信号

  T-音調(TONE)

1-極めてあらい音

2-大変あらい交流音で、楽音の感じは少しもない音調

3-あらくて低い調子の交流音でいくぶん楽音に近い音調

4-いくらかあらい交流音でかなり楽音性に近い音

5-音楽的で変調された音色

6-変調された音。すこしピューツという音を伴なっている

7-直流に近い音で、少しリップルが残っている

8-よい直流音色。だがほんのわずかリップルが感じられる

9-完全な直流音

また、RSTはこの定義にしたがって正確に表わし、

特に悪くしたりあるいはあまくしないように注意しなければなりません。

-----------------------------------------------

「表し」が「表わし」となっている辺りは時代を感じさせますが、

「楽音に近い音調」「かなり楽音性に近い音」「音楽的で変調された音色」などの表現は

今読んでも分かりにくい表現です。

Sメーターが振れていないため「50」のレポートを送った友人が、

あるOMに

SはSメーターの指している数ではない!」と注意されていたのを思い出しました。

2009年1月12日 (月)

お世話になったもの その12

1996年秋に現在の住まいに移ったとき、無線室用に机・キャビネット・椅子のセットを通販で買いました。

5年ほどで座る所の板が割れてしまった椅子は修理して使っていました。

Chair1

写真に撮ると、座布団とクッションがいかにもチープな感じです。(笑)

ところが今回、背もたれを支える金属部分が折れてしまったため買い替えることになりました。

狭い室内では邪魔になりそうな気もしましたが、

背もたれの大きなハイバック型にしました。

Chair2

座り心地はまずまずで、肘かけも大きくやわらかいので快適です。

これで長時間のコンテストも大丈夫かな?

2009年1月 8日 (木)

お世話になったもの その11

工具箱と同時に購入した(はずの)ハンドドリル。

Drill1

シャーシーやパネルの加工は勿論、アンテナの製作などでも良く使いました。

鉄製シャーシーのときはなかなか穴が開かず四苦八苦しました。

酷使した結果、ハンドル部分が変形してしまいました。黒矢印方向

Drill2

また、回すと頭の磨耗したピンが抜けてきます。赤矢印

Drill3

もう使用できなくなりましたが、なかなか捨てられません。

お世話になりました。

2009年1月 7日 (水)

お世話になったもの その10

Toolbox

子供の頃買ってもらったものですが、まだ現役です。

書いてある日付は恐らく使い始めた日でしょう。(記憶なし)

年齢推定の材料に使うことは禁止です。(笑)

2009年1月 5日 (月)

お世話になったもの その9

局発やVFOという考え方自体が根底から変わり、

無線機のダイアル機構も大きく変わりました。


バリコンを回していた時代では、減速装置として糸かけダイアルとバーニアダイアルを良く使いました。

9R-59や9R-59Dも糸かけダイアルでした


前に取り上げた3連バリコンを回していたのは70mmのバーニアダイアルでした。

Dial

ギヤーダイアルも市販されていて、それを使った受信機やVFOの製作記事が掲載されていましたが、

バーニアダイアルが500円前後であったのに対し、ギヤーダイアルは3000円前後と高価で、小中学生にはとても手が出せませんでした。

減速比はバーニアが6:1~10:1、ギヤーは20:1~40:1

2008年12月30日 (火)

お世話になったもの その8

ラジオや受信機用のコイルは、並4、高1、RF無しスーパー、RF付スーパー用など色々ありました。

手元の在庫品はこちら

Coil1

手元の資料では、5S-Lは定価105円!

小高1は205円、2B-Bは560円となっています。


この写真を見て「おや?」と思われた方はスルドイ!

実は

Coil2

こんなネタばかり書いていては

年齢を間違えられても文句は言えませんね。(笑)


さて、今日の6コマが終われば1/4まで休みです。


2008年12月29日 (月)

お世話になったもの その7

このシリーズのためにジャンク箱周辺を整理しています。

多分自分が持っているパーツで一番古いものがこれ。

Old

昭和20年5月と刻印されています。

私が生まれる10年以上前!


A1クラブ東海の戦中派のOMに

次回見ていただきましょう。

2008年12月27日 (土)

お世話になったもの その6

バリコンといえば何といってもこれ!

Vc

バンドスプレッド付きの3連バリコンです。

ちょうどHFのAMがSSBに変わっていく頃が開局の直前で、

その様子を聞いていた高1中2で使いました。

2008年12月26日 (金)

お世話になったもの その4

こちらも開局前のSWL時代から大変お世話になったものです。

Dscf0001

受信用のものやTV球は殆ど実家に置いてきました。(みかん箱一杯?)

送信管を中心に数十本持ってきたものの、未だに一度も使っていません。

唯一使ったのはハムの祭典で使うためのCW練習機用アンプを作ったときで、76-6V6という構成でした。

一応FT-101のスペア(12BY7A+6JSA6)もあります。


TV球でもあった高周波用の6CB6ばかりで5球スーパーを作ったことがあります。

周波数変換は6WC5/6SA7/6BE6のような7極管で行うのが普通でしたが、

5極管でもできる方法を知り、いたずら心でやりました。

6CB6はシャープカットオフのためIF段にAGCがかからない難点はあるものの、

AF段でも使い、スピーカーを鳴らす出力は得られました。


開局記念日ということで当時にタイムスリップし、

時代錯誤ネタになってしまいました。SRI

2008年12月24日 (水)

絶滅したもの その2

高価なコイルパックを買えない少年達はプラグインコイルを多用しました。

Plugin

当時のコイルが何個かジャンク箱から出てきました。

0-V-1や0-V-2でよく使われていましたが、

各段のコイルが1箇所に集まるコイルパックより、

動作が安定すると教わった記憶があります。


形式は違いますが、デリカのコンバーターもプラグイン式でした。

絶滅したもの その1

先日何気なく机の上のRigを眺めていて気づきました。

それはこれ

Sw

今メインで使っているIC-775の(IC-756も)バンド切り替えスイッチは10キー式で、

IC706はUP/DOWNの2個のスイッチしかありません。


ロータリースイッチ、しかも複数ウェーハーのものは見かけなくなりました。

ウェハー数 - 接点回路数 - 接点数 で「2-4-3」などと表していました。

高1中2受信機で3連バリコンと組み合わせて使うトリオの受信用コイルパックは

憧れの的でした。(9R59シリーズで使われていたものが販売されていました)


SSBトランシーバーでも長い間「バチバチ」切り替えるバンドスイッチが使われていました。

順番にバンドを移っていく点では706のUP/DOWNと同じですね!


明日12月25日は開局記念日!

当時のことを色々と思い出しています。

2008年10月 3日 (金)

Memories of Memories

入れ替えたPCはCPUは2.8GHzなのに対しメモリーは256MB。

いささか心もとないので、送料も含め¥740で入手した256MBのボードを追加しました。

Memory

それにしても大容量のメモリが安くなりましたね。


私がZ80のマシン語でNC関係のプログラムを書いていた頃使っていたEP-ROMは、

1チップのアドレスが00からFFの256バイトしかありませんでした。

(1チップ数千円した記憶です)

ROMライターの組み立てを手伝ったり、書き込みプログラムを書いたりしました。

当時のROMは窓の部分から紫外線を当てると消去可能だったため、

引き出しの中に殺菌灯を入れた簡易消去装置を使っていました。


いずれにしても遠い昔のお話です。Hi

2008年7月 8日 (火)

集計モノ

延び延びになっていた集計モノを先日HPにアップしました。

それによると、

10バンド以上で交信している局数が64、

5バンド以上は783にもなりました。


今ではHomeからも多くのバンドにすぐ出られる体制になっています。

・・・・「出られる」と「飛ばせる」は同意ではありません・・・

自分の他バンド化の歴史を振り返ってみました。

こういうときHamlogは大変便利です。


開局した70年12月は21MHzと50MHzで交信しています。

翌年の夏になって7MHzで初QSOしているようです。(記憶なし)

72年に3.5MHzでの交信実績がありますが、

これは友人宅のアンテナ(短縮バーチカル)を借りて運用したもので、

北区の実家に3.5MHzのアンテナが建つことは終にありませんでした。

73年に28MHzと144MHz、2アマ取得後の78年には14MHzとここまでで7バンド。


友人にレピーターに出ているからと誘われて、少しだけ出た430MHzは83年。

実家ではこの8バンドまででした。


96年秋に現住所で再開後も、しばらくは7/14/21/50MHzばかりでした。

移動運用も再開したあたりで、WARCバンドへのQSYリクエストが増えましたが、

そのときには10/18/24MHzの詳しいバンド幅すら知らない状態でした。

98年にまず10MHzに出られるようになり、7/10MHzのCWのみの移動運用が増えました。

99年秋までには18と24のアンテナも作って、7~28MHzに出られるようになりました。

このあたりはHPの「のめしこきへの道」に書きました


1.9MHzに初めて出たのは、2001年9月のオール愛知コンテストでした。

何とかして1.9MHzに出たいと思い、手動のアンテナカップラとアース棒を使って外で運用しました。

その後A.T.U.(AH-3)でお手軽運用を始め、しまいにはフルサイズのダイポールまで作ってしまいました。

2004年の1.9MHzでの年間交信数1033は、

2000年まで縁のなかったバンドとしては信じられない数です。


最近は夜間移動をしなくなったので、1.9MHzのD.P.も出番がありません。

高いところへ上がってのV/Uの運用も随分遠ざかっています。


過去のデータを掘り起こしてみて、改めて今後どうするか考えてみようと思います。


「SATはどうなった?」という突っ込みはご容赦を・・・(笑)

2008年6月17日 (火)

コンテストでのQSO

言うまでも無く、コンテストは決められた時間内の交信結果を競うものです。

総得点は、「ポイント×マルチ」で算出されることが多いので、

局数(≒ポイント)だけでなく、マルチの数を如何に得るかでその結果が大きく左右されます。


普段交信し難い所へ移動する局を狙って交信し、

得点や順位度外視して参加することもできます。

(ログ照合型のコンテスト以外では書類提出を省くのもありかな?)


競技性を重視するならば、余計なことは一切送信せずに、

ナンバー交換のみに徹するべきと思います。

私はCWでもGMやGAを送信することが多く、

そのくらいは許して貰えると思っています。

「許さん!」というオーラ(?)を感じた場合は、勿論ナンバーのみしか送りません。Hi


フォーンで出ると名前や運用地を聞かれたりします。

コンテストとしては不要な情報ですが、参加局数が減っている現状ではそれまで省略して急いでも仕方ないと思い、先方が送ってこられればこちらからも送信しています。

 「郷に入っては郷に従え」とも言います。

要はTPOを考えて対処することだと考えています。


先日のオール岐阜では、終了まであと20分を切った状態で交信した方は、

移動地のJCC/JCGだけでなく、現地の天候や、

Home QTHのJCC/JCGまで長々と送ってこられました。

他のバンドをチェックしながらその時間を過ごしましたが、

残り時間僅かの状況で、5分以上引っ張るのはいかがなものでしょうか?

交信の冒頭で「あと20分を切りましたね」と前振りをしたのに・・・


30年くらい前、クラブでF.D.に参加していた頃は、

50MHzの電話で、開始直後1時間の目標交信数は100で、

「UR 591910! JA2Z**/2 QRZ?!」と叫んでいました。(遠い目;笑)

Zak1976_2

2008年5月16日 (金)

不幸な過去?

ある方のBlogで、1st DX QSOについての記載を拝見しました。

同じQSLを当局も所持しています


自分の1st DXはどこだったのかHamlogで調べてみました。

UAの局だったような気がしていましたが、やはり21MHz SSBによるUK4の局でした。

画用紙のような紙に青いインクで印刷されたカードを覚えています。


ついでに6mで初のEsはいつだったかなど調べていくと、意外な事がわかりました。


開局第一声を21MHzのSSBで出したときの相手局JH2A※※局からは

嬉々として約束したカードが来ていないのは忘れられない記憶ですが、

それ以外にも、

6m での1st QSO JA2S※※※

6m Esでの1st JA8 JE1※※※/8

7MHz SSBの1st QSO JA1X※※/1

3.5MHz SSBの1st QSO JA3Y※※

CWでの1st QSO JA8※※※


これらの記念すべき初交信のカードがありません。

カード集めがすべてではないものの、

交換の約束をし、そのうち幾つかは

「××では初めての交信です」と感激の気持ち(ひとりよがりですが)を

伝えたはずなのですが・・・


相手局にとっては単なる one of them なんでしょうけれど、

少し悲しい過去に気づいてしまいました。

2008年2月26日 (火)

アマチュア無線をやめた理由

同年代で、しかも同じ名古屋で無線をしていたことを知り、

「もしかして」と調べたらQSOの記録があり、

QSLも手元にあった作家、森氏の作品を久々に読んだ。

今回は日経パソコンに連載されていたエッセイを集めた物。

Tool

この本の中では、氏が無線をやめ飛行機や鉄道の模型工作へ行ってしまった理由が書かれている。

それは、「より高性能なものが自作するより完成品を買ったほうが安くなったから」とか。


私も自作の受信機で3.5や7メガのAMを聞いていたのが、

免許を取った頃にはSSBばかりになっていて、

開局用の送信機の自作は結局できなかった。

構成が簡単なメカフィルタイプのものはフィルタが高価で手が出ず、

安価な部品で作れそうなPSNタイプは回路がかなり複雑だった。


50メガAM用のキャリアコントロール変調の送信機を作ったこともあったが、

ほとんど無線機の製作はしなくなった。

その理由は森氏と同じであった。

ただ、私は交信そのものが楽しかったことと、

JCCなどのアワードを追うという目標ができたために、

無線を続けられたのだと思う。


また、HB9CVを始め、バードケージや5Aスペシャルなど色々なアンテナを作って試していた。

(Es用にダブルダイバシティーなんて物も作った)


さて、今はどうだろう?

ここまで続けて来ると、今更何を目指すとか、何が面白いからというものではないようだ。


もっとも、和文電信はまだ習得中であるし、SATは未だ一度もできていない。

まだまだ色々と楽しめそうではある。

2008年2月 5日 (火)

JAテン

7メガのAMでSWLを始めた当時、

「JAテン・・・」や「JAワンゼロ・・・・」というコールサイン(?)を時々聞きました。

まだアマチュア無線のことを知らなかった少年は、JA9の次はJA10だと思い真剣に聞いていました。

(JAテン エドムラサキなど、変なフォネティック(?)が聞き取れず、本当のコールサインは何か一生懸命聞いた記憶があります)


今回届いたカードの中に正式な「8J10」の局のものがありました。

8j0yrp

更には「8J100」までも・・・・(驚!)

8j100_3

2008年1月16日 (水)

珍品

SWLとして取得したアワード紹介第2弾(?)はこれ。

Haja

HAJAは言うまでもなく、WAJA(全都道府県と交信)のSWL版です。

このアワードにはある珍しいことが・・・




それは


Haja2


42県という旧版をお持ちの方も多いでしょうが、

43に修正してあるのはかなりの珍品でしょう。(笑)

2007年11月22日 (木)

ブランクとリハビリ

昨年より練習を始めた和文電信ではなく、欧文電信の話です。


まだキーヤー内臓の無線機が出回っていない時代、

コンテストの7メガでも縦振り電鍵で参戦していました。


シングルレバーのエレキーを入手してからは、

更に電信で出ることが増えました。

(HFの移動運用では相手が少ないので、相変わらずSSBばかりでした)


85年の夏前に無線を続けることが困難になり、

86年のNYPで12年参加を何とか果たしてからは完全にQRT状態になりました。


94年10月の日進市誕生時に一時復活したときも、

交信のほとんどはSSBによる運用でした。


そして、96年秋に現住所で復活!

SSBだけでなくCWでも出始めました。


が、しかし・・・・なかなか符号が聞き取れない。

特にSとH、3と4はミスコピーの連続でした。

自分からCQを出すなんて、とてもできません。

コンテストでもCQを何回も聞いて

コールサインと送っているナンバーを確認してから後

やっと呼べるという状態。


ラバースタンプQSOすらおぼつかない状態で、

一時はそこそこ自信のあった分野だけに、これはかなりショックでした。


ラバスタそしてコンテストと、とにかくCWを聞く機会を持ち続けました。

こうした「リハビリ期間」は1年以上続いたでしょうか。

やがて意を決して通常のCQを出し、

遂にはCQ TESTも出せるようになりました。


CW FreakやMorse Runnerなど、練習ソフトの存在を知っていれば

もっと早くリハビリに成功できたと思います。


PC利用の和文練習が遅々として進まないことを考えると、

そうではないかも(大汗)

2007年11月16日 (金)

楽隠居

こちらはクローゼット内で隠居生活中。

Retire

IC-71とIC-502(写っていない)は、

高校時代の友人から預けられたまま居残っています。

(持ち主はもう忘れているでしょうね)


一時期車載していたアルインコの430MHz FM機が行方不明。

2007年11月15日 (木)

兵どもが夢の跡

部屋の隅で休息中の老兵たち

Oldtimer

上から

○SWL時代から使っていたスピーカー

○オール愛知TESTや田原市移動で活躍した手動チューナー

○初めて使ったデジタル表示無線機 【FT-301SD】

 (真空管の1本もない機械としても初使用)

 250HzのCWフィルタ搭載で初期の移動運用で活躍した

○固定・移動とフルに使った50MHzの銘機【TS-600】

 CWフィルタが入らないため泣く泣く引退させたが、

 50MHzでCWフィルタが必要になるとは思いもしなかった。

○右端は一時期のマルチバンド移動を支えた【T2FD】

 LBでの効率はよくないが、10MHz以上でのクイックQSYには便利だった

FT-101に次いで現場復帰する者は出るかな?

2007年9月13日 (木)

新市祭りの記録④

<記録④>

2006年1月15日 土岐郡笠原町 11:22~15:37 122局

2006年1月22日 土岐郡笠原町 11:41~14:18 66局

2006年1月29日 宝飯郡一宮町 10:52~16:23 227局

2006年3月5日 安八郡墨俣町 10:38~14:25 149局

2006年3月12日 西春日井郡師勝町 11:43~13:06 75局

2006年3月19日 西春日井郡西春町 13:33~15:52 62局

2006年3月19日 西春日井郡師勝町 17:28~23:51 155局

2006年3月20日 北名古屋市 00:00~14:04 587局

2006年3月26日 海部郡十四山村 10:48~13:36 122局

2006年3月26日 海部郡弥富町 14:32~16:38 69局

2006年4月1日 弥富市 09:59~18:11 494局


狂乱の日々も弥富市誕生で一旦終了。

「無くなればそれっきり」の消滅町村の運用時間が短い(終了時刻が早い)が、

家の用や仕事の都合を、新市の市制施行日に合わせて移動に行くこと優先に組み立てたため、止むを得ないことだった。


弥富市などは現地到着が9時半過ぎという有様。


まあ、永く続けるためには色々なものとのマッチングを保たないといけないので、

この位が限度でしょう。


この新市祭り特需の期間に、一度だけJARLからのカード配送が、

普段の靴箱より大きい特大版で届きました。


こんなことは、海外にペディションでもしない限り

2度とないでしょうね。(笑)

2007年9月12日 (水)

新市祭りの記録③

<記録③>

2005年4月24日 可児郡兼山町 11:52~19:15 324局

2005年5月3日 愛西市 08:45~15:29 204局

2005年5月29日 西春日井郡新川町 11:37~14:47 117局

2005年5月29日 西春日井郡西枇杷島町 15:50~17:00 48局

2005年6月19日 西春日井郡清洲町 08:49~10:58 41局

2005年6月26日 西春日井郡清洲町 08:58~11:24 84局

2005年7月7日  清須市 05:35~10:56 341局

2005年7月16日 清須市 07:01~10:37 97局

2005年9月18日 南設楽郡鳳来町 10:47~12:28 40局

2005年9月18日 南設楽郡作手村 13:38~16:18 85局

2005年12月11日 額田郡額田町 11:12~17:00 218局

清須市誕生前後は日曜も休みがとれなかった。

昼からの始業に間に合うよう午前中で中断している苦闘ぶりが伺える。

またこの時期はCondxも良くないことが多かった。

また行ってみるのも面白いかも知れない。

2007年9月11日 (火)

新市祭りの記録②

<記録その②>

2004年1月25日 本巣郡本巣町 11:19~12:30 65局

2004年1月25日 本巣郡糸貫町 13:04~14:31 59局

2004年1月31日 本巣郡真正町 14:29~23:43 252局

2004年2月1日  本巣市 00:00~13:13 532局

2004年3月6日~7日 郡上市 6日11:58~7日11:42 762局

2004年10月18日 羽島郡川島町 14:29~16:07 31局

2005年1月16日 小笠郡菊川町 18:27~23:59 51局

2005年1月17日 菊川市 00:00~20:47 562局

2005年3月7日 東加茂郡旭町 10:32~12:03 47局

2005年3月7日 東加茂郡足助町 13:07~14:57 63局

2005年3月21日 中島郡祖父江町 11:08~14:32 109局

2005年3月21日 中島郡平和町 15:41~18:51 206局

2005年3月27日 海部郡八開村 11:29~13:02 71局

2005年3月27日 海津郡海津町 16:15~23:59 218局

2005年3月28日 海津市 00:00~19:46 851局

2005年4月2日 愛西市 11:03~19:47 533局

菊川市はJG3DOR,JL3TOGのお二人と遠征、

海津市はJH2RSZ,JN2UIYのお二人とJN2UIY局提供の室内で運用。

新市への移動での交信数はこの時期が多い。

・・・といっても交信数が4桁に乗ることは一度もなし。

まだまだ甘いな(笑)

消滅町村移動は時間の制約もあって、昼間のみのあっさりとしたものばかり。

新市祭りの記録①

平成の大合併も一段落して久しい。

年末には久々の新市のニュースもあるが、

本来の大合併の目的が達成されたかどうか地方自治に於ける検証はされないままの気がする。


それはともかく無線界では

消滅する市町村(ときには郡)、新しく誕生する市町への関心は高かった。


当局は、古くは日進市が94年10月誕生したとき、市内の知人の旧家を借用して

誕生前後二週間ほど運用したことがある。


平成の大合併の初期は「消滅前に行っておこう」「新市ができたから行ってみよう」

くらいの動機で、日帰りで2時間程度の運用が多かった。

それが徐々にエスカレートしていく様子をまとめてみた。


<記録その①>

2003年4月3日 山県市 12:43~14:57 107局

2003年4月13日 本巣郡巣南町 11:55~13:20 71局

2003年4月13日 本巣郡穂積町 14:15~15:34 33局

2003年5月1日  瑞穂市 07:14~14:53 315局

2003年8月19日 渥美郡田原町 13:10~14:32 29局

2003年8月19日 渥美郡赤羽町 16:55~23:59 208局

2003年8月20日 田原市 00:00~10:51 338局

2003年11月26日 員弁郡藤原町 11:07~12:27 37局

2003年11月26日 員弁郡北勢町 13:19~14:58 56局

2003年11月30日 員弁郡員弁町 10:43~12:00 53局

2003年11月30日 員弁郡大安町 14:50~23:55 219局

2003年12月1日 いなべ市 00:00~11:29 445局


瑞穂市は新市祭り特需を狙い、市制施行日の朝家を出た。

田原市は前日から現地入りし、市制施行の瞬間から初運用。

(田原町は全交信SSBという珍記録)

この時期は岐阜・三重での合併が多かった。 

2007年9月 4日 (火)

CWフィルタ

復活したFT101で時々7メガのCWを聞いているが、土日は厳しい受信状態になる。

今では、わざわざフィルタを追加しなくても受信帯域を任意に変えられる無線機がある位で、

CWで本格的に運用するには500Hz以下の狭帯域による受信環境が必須である。


T-11のような通信型IFTをメカフィルに変えたくても高価で手が出ず、漁業無線用受信機の怪しげなメカフィルを入手し、その切れに驚いていたのは遥か昔のことになった。

最初に使ったメーカー製SSBトランシーバー「FT‐200」にはCWフィルタは入れることすらできなかった。

初めて500Hz(600Hzだったか?)のCWフィルタを搭載したFT-400Sでは、上記のSSB用メカフィル使用時同様、QRMが一気に静かになるのに驚いた。

初めて買った真空管のない無線機「FT-301SD」には250Hzという超狭帯域のフィルタを入れたが、VFOの安定度がついていかなかった。


FT-400SにしてもFT-301にしても、モードをCWにすると自動的にフィルタが入るタイプだった。


焼失したFT620Bの後継機として長い間愛用したTS-600を引退させざるを得なくなった原因は、CWフィルタを入れられない構造だった。

HFならともかく、50MHzでCWフィルタが要るなんてTS-600のデビュー当時は誰も考えなかった。

6mの空いている2エリアでも、コンテストでは必須アイテムである。


折角復活したFT-101もなかなか出番が来ない。

といって、本体(中古価格)と同じくらいの投資はなかなか難しい。


なぜかデリカのQマルチを持っているが、わかる人はほとんどいないだろうなあ・・・

2007年8月22日 (水)

ダイアル(続編)

前回の最後に書いたのは、勿論「FT-2000」ではない。(笑)


FT-200では、当時としては珍しい9MHzのクリスタルフィルタ使用で、

VFOの発振周波数は5.0~5.5MHz。

3.5MHzは、9-5.5=3.5で、VFO周波数が下がるに伴い3.5バンドの周波数は上がる。

14MHzは、9+5.0=14.0で、VFO周波数が上がるに伴いバンド内の周波数は上がる。


確か赤と黒の2色で目盛りにKHz台の周波数が書いてあった。

2007年8月21日 (火)

ダイアル

これだけ暑いと電源を入れる気にはなれないFT-101を眺めていて、

RIT/CLARに続いて気づいたことがあった。


それはメインダイアルの周波数目盛り。


つまり周波数の上下とダイアルの回転方向の関係のこと。


現用のアイコム機3台はすべてダイアル右回しで周波数が上がっていく。

ところが、FT-101ではその逆。


右ネジの感覚からいえば、右回しで周波数が上がっていくのが自然と思われる。


<バリコンは右回しで羽が抜けていく→容量が減る→周波数が上がる>

この仕組みは変えられないので、アナログVFOの場合は、

目的のハムバンドの周波数を局発とVFOの和で作るか差で作るかによって

周波数の動き方が決まってしまう。


確かFT-200ではバンドによって周波数の動き方が異なったのではないかな?

2007年8月20日 (月)

RITとクラリファイア

あることを新たにしたくなり、新しい無線機を購入した。


現住所で無線を再開する時、無線機屋に「2アマを持っているのなら、200Wまで保証認定を受けられる」というので200W機のIC775を勧められるまま購入した。


その後、TS600に代わる50MHzの機械として、移動でも使えるIC756M(50W機)を、

しばらく後、車載機として144/430MHzにも出られるIC706MKⅡGMを購入し、

気づいたらすべてICOMの機械になっていた。


今回購入したのはバーテックス・スタンダードになった八重洲の機械。

マニュアルを片手にいろいろ触ってみたが、最初に問題になったのは

CWのフルブレークイン選択がないこと。

同機種を数年前から使っている知人に問い合わせて、ブレークインのディレイ時間を短くすることで対応できる事が分かった。


ブレークインのような基本的な機能でも、メーカーにより考え方が違うのに気づかされた。

(フルブレークインはてっきり共通な機能と思っていた。)


そこで気づいたのが、送信周波数を変えずに受信周波数のみを可変させる機能のこと。

送信周波数は発振周波数を逓倍するというAM/CWの仕組みから、SSBジェネレーターの周波数にVFOと局発周波数を混合して送信周波数を作り出すという仕組みに変わり、トランシーブ操作が当たり前になった。

そのため、相手のFずれを追いかける機能が必要となり、これを八重洲ではクラリファイア、トリオではRITと呼んでいた。

確かナショナルでは⊿Fとか言っていた気がする。


ICOMではRITだったため、すっかりRITという呼び方に慣れていた。

勿論、久々に復活したFT-101ではクラリファイアだった。

(FT-101B以降では押しボタンSWになったが、初期のFT-101では普通のSW付きボリュームだったのに改めて驚いた。)


2007年7月19日 (木)

変り種(無線機編その2)

F-850(杉山電機)


HFがSSB主流となっても、無線機はHF用と50MHz用、144MHz用と分かれていた。


そんな中、トリオの310ラインは50MHzまで出せるHF機としてユニークな無線機だった。

50MHzはほとんどAMの頃で、受信は相手の周波数変動を追いかけるのが大変で、

送信もA3Hのためなかなか綺麗な音にならず苦労したようだ。

しかし、50MHzのSSB化への貢献大の貴重な機種であったことは間違いない。


HF機がFT-101やTS520といった終段部以外は真空管を使わなくなった機械が出始めた後も、そのパターンは変わらなかった。


そんな時突然、1.9から144MHzすべてのバンドをカバーするという機種が登場した。

しかも、ヤエス、トリオ、井上、(+NEC、ナショナル)といったいわゆるメジャーなメーカーでなく、地元名古屋の会社が作ったF-850である。


ローカル局が購入したというので、見せてもらいに行き、

帰りに回路図のコピーをもらってきた。

(どこかにあるはずだが、現在は行方不明)


今となってはHFから430MHzまでカバーするのも当たり前になっているが、

当時としては画期的な無線機といえる。


ローカルの彼以外に使っているというのを聞いた事がない。

幻の無線機といってよいかも。

2007年7月12日 (木)

銘機

先週の金曜からFT-101を触っている。

旧友の某局が「オークションで買ったけどANTがないので使ってみて」と持ち込んだ物。

工事設計書に記載されている機種なので電波を出しても問題はないと判断。

(技適のように1台毎の無線機固有の記号で申請する時代ではかった)

20数年振りに手にした第一印象は・・・・

重い!!

友人とも話したのだが、これより重いFT-400Sや401Sを自転車の荷台に載せて運んだことが「シンジラレナ~イ」。

ANTを繋いで7メガを聞くと、まずまず聞こえる。

次は送信テスト。

HEATERスイッチをONにしてモードを「TUNE」に。

(TUNEというモードのある無線機を触るのも20数年振り)

メーターをICにして送信にするが、電流は全く流れない。

「??」と思いリアパネルを見ると、ACCプラグがない!

どこかにあったと思い、玉手箱(ジャンク箱)を開けるが発見できず。

仕方ないので、電線をカットして10-11ピンをショートさせる。

(この辺は旧ヤエスの機械を知る人しかわからないコト)

改めて送信状態にすると、無事ICが流れている。

メーターをICからPOに切り替えながら、DRIVE(PRESELECT)→PLATE→LOADとチューニング。

こんな操作も久々。

TRIOでは、なぜかメーターを最初にALCにしたことを思い出しながら調整した。

在庫機FT-301のマイクを繋いでSSBで呼んでみると、応答あり。

無事QSOに成功した。

CWではフィルタがなく、エレキーも内臓していない。(キーヤーは無くて当たり前!)

しかし、縦振り電鍵を繋いで599BKに成功。

わざわざ新規購入して使いたいとは思わないが、

なかなか面白い経験だった。

まだ置いてあるので、また使ってみよう。101

2007年6月29日 (金)

変り種(無線機編その1)

スターの700ラインはまさに幻の名機だが、

実はスターの無線機を使った事がある。

それはSR-200。

開局直前の7メガがAMからSSBに代わりつつある時期、

自作の高1中2ではプロダクト検波がなかなかうまく動かず(作れず)

SSBの復調に苦労していた。

そんな時偶然手に入れた本格的SSB受信機である。

IFが455KHzではなく1600KHz付近のため、

シングルスーパーでも21メガが良好に受信できた。

ダイアルのメカは糸かけだったはずだが、

大変スムーズに動き選局も楽だった。

古い雑誌の広告でも見たことがなく、幻の受信機と思っていたら、

最近ネットオークションで送信機とセットで「200ライン」として出品されていて驚いた!

ずっとSR500とかSR550などと同じく受信機だけのシリーズと思っていて、

まさかセットの送信機があるとは考えもしなかった。

友人はTS510やFT200を持っていて、SSBでバリバリ交信していたが、

自分は50MHzのAMに出ながら、いつかSSBの送信機を(しかもPSNで)作ろうと

本気で思っていた。

(結局50MHzのAM送信機を数台作っただけに終わったが・・・)

変り種(アンテナ編その1)

HB9CVを沢山作ったことと、

印象的な飛び方をしたダブルダイバシティーについては既に書いた。

今回は少し変わったアンテナについて思い出してみよう。

実用性がそこそこあって、長期間使ったものから・・・

① バードケージ

アンテナハンドブックに21MHz用のものが載っていたので、50MHz版を作ってみた。

2エレのCQを変形しただけで、いたってシンプルな構造で、

ラワンの角材をL金具でつないだだけの骨組み。

運用縮小期だったため、母屋の低い屋根(5m位)に上げた状態で

大して期待はしていなかった。

勿論回すことは不可能だったが、FB比の悪いのが幸いして、

西へも東へもそこそこ飛んだ。

大抵の相手局は興味を示してくれて、話のネタという面でも貢献度は大きかった。

この経験をもとにして、5年位前に「5Aスペシャル」を移動用で作ったが、

50MHzの移動を本格的にやっていないこともあり、こちらは目だった活躍はしていない。

② ZLスペシャル

 HB9CVを最初に作った頃、CQ誌などでも時折見かけたアンテナなのでご存知の方もあるだろう。

300ΩのTVフィーダーで作った2組のフォールデッドダイポールを位相給電したような形のアンテナである。

当時21メガあたりで数回使っている局を聞いたが、TVフィーダー自体が絶滅危惧種(?)の現在では再現は困難であろう。

③ J形アンテナ

 こんなアンテナ誰が使うの?というようなものだが、7メガの逆Vしかアンテナがない時期に

逆Vの給電点を上げている竹ざおに50MHz用をぶら下げてみた。

ホイップよりはよく飛んだはず。(笑)

2007年6月28日 (木)

移動運用(その6)

7メガのSSBによる移動運用の出来事を振り返ると・・・・・

自分の使った無線機(FT-101ES,FT301SD)以外で起こったこと。

雨降りの車内で友人が運用していると、TS-820Xの内部で「パチッ」と音がして

発電機のヒューズが飛んだ。

車内の湿度が上昇したため電源部がスパークしたらしい。

確かTS-511でも同じ事があった。なぜかTRIOの機械ばかり。

電圧が高いのか、配置や配線に問題があるのか?

電卓のようなコントローラがあったIC710は高価な機械だったが

一度電源が落ちると、次に電源を入れた時周波数がリセットされて7.000の表示となるため、

運用していた周波数に戻れなくなった。

バックアップ機能がなかったのか?

所有者の設定が悪かったのか?

それにしても、当時は1時間で50局から100局くらいは交信していた。

今では呼ばれ続けていても20局前後しかできない。

新市誕生時でも30局を越えるのがやっと。

原因は、

①「あるふぁ~、ぶらぼ~う、・・・」のようにコールの一部だけで呼んでくる局が多いこと。

「AB△どうぞ」

「こちらは、じゅりえいと・・・・・・」と、倍のやりとりをしないと相手のコールサインがコピーできない。

いつ頃からこうなったのかな?

②「こちらのQTHは・・・・チャーリーナンバーは・・・・、名前は・・・・漢字解釈は・・・・」

「これで×回目の交信ですね。QSLはすべていただいています・・・・・」

のようにTPOお構いなしの交信パターンが多い。

初めての交信なら住所&名前位は挨拶のついでに言ってもよいが、

何度も交信しているのに、長々と話されることが多い。

交信履歴を読み上げるに至っては、何のためのHamlogかわからない。

先日の某コンテストでは、ナンバーだけ送ったら、QTHと名前を教えて欲しいと言われた。

50MHzあたりでCQが空振りしていたときなら構わないが、

HFで珍しくパイルになっているのにこの有様。

「早ければよいものではない!」と叱られるかもしれないが、

状況に応じて簡潔に終わらせることも覚えて欲しい。

最近の言葉で言えば、「空気を読め!」ってところかな?

2007年6月27日 (水)

移動運用(その5)

当時はJCGという概念がほとんどなかった。

現在の「全市全郡コンテスト」も「オールシティーコンテスト」で、

郡部からは「59市外」なんてナンバーを送らされた。

それはともかく、7メガのSSBでは「JCCサービス」が盛んに行なわれていた。

ちょうど自身のJCCを数え始めていた頃でもあり、

ひたすら「サービス」を呼びに回っていた。

50MHzの移動のついでに出るときは、「市外」ばかりだったが、

ある時「自分が『市』移動したら面白いのでは?」ということに気づき、

3分割した竹をマストとして持って行き実行してみた。

日曜の7メガでは空き周波数を見つけるのが大変だったが、

それさえクリアすれば何時間も連続して呼ばれることにも気づいた。

無線機は名機FT-101ES。津島市や大府市では「WACA最終市!」という声も聞き、

津島市では日帰り運用で、2局合計のべ700交信を越えた。

(HamlogどころかPCすらない時代なので、カード書きが大変だった。)

その後、無線機がFT-301SDに代わり、発熱に悩む事もなくなった。

このパターンでの移動は休眠に入るまで続いたが、CWはほとんど運用しなかった。

(局数が圧倒的に少なかったため)

住宅事情のための休眠だったのだが、今考えれば移動のみで継続できた。

なぜそういう発想にならなかったのか?

無線機を実家に置いてきたこともあるし、発電機などを貸し出した某仲間が行方不明になり

また買い直す気にならなかったこともある。

2007年6月26日 (火)

移動運用(その4)

個人局としての移動運用の話になると、以前CQ誌に掲載された内容と重複してしまうことに気づいた。

「高い所へ移動して、自宅からはできない地域と交信する」

この楽しさは格別であることも前に書いた。その時期の設備は、

無線機は、IC-71,FT‐620B,TS‐600と替わっていった。

アンテナは基本的に6エレ八木(ルソー製を移動用に改造)

同じくルソーの屋根馬(1.5m以上の高さ)とマストをルーフキャリアに乗せて運んだ。

電源はホンダの小型の発電機。

FD以外では所謂「担ぎ上げ」をせず、駐車場にルーフタワーを建ててステーで固定。

車内または東屋で運用というスタイルだった。

今とは違い50MHzが賑やかな時期だったので、1時間以上もコールが途切れないことはしょっちゅうで、家から出られる7MHzの移動には、なかなか考えが及ばなかった。

和文(続き)

昨年ブログに書いた頃よりは幾分上達した実感がある。

「上達」といっても大したことはないのだが、

一応定型分は暗記受信でその内容を理解できるようになった。

送信も時々幾つかの文字をど忘れしてしまうことが時々あるが、

なんとか文字を綴って意思疎通はできている。

とはいえ、「和文局」と錯覚されている方からは、

こちらの送信速度を無視して高速ホレ攻撃を受け撃沈。

符号の長さ&間隔が個性的な方の符号は相変わらず聞けない。(聞かない?)

などなど課題も多く残り、拒絶感はかなりなくなったものの

「和文が楽しい」というレベルからはまだ程遠い。

CQホレを出すことも呼ぶことも、まだできていない。

移動運用(その3)

クラブの移動運用は、3.5~50MHz(途中から1.9~144MHz)のオールバンドに出る大規模なもので、コンテストに参加(メンバーとの親睦会)が目的だった。

個人(数名)の移動は、50MHzで自宅からは交信できない所まで飛ばすことが目的で、

6エレ八木を山の上に上げて1エリアを狙ったものが多かった。

今では有料道路も開放され、ちょうど頂上付近がその境界だった

額田郡額田町も南設楽郡作手村も消滅してしまった「本宮山」はその定番で、

多い時は、GWとお盆そして秋と年3回も泊りがけで行っていた時期があった。

土曜夜に行っていたクラブのロールコールも現地から度々実施した。

自宅からはなかなかできない静岡や1エリアから受けるパイルアップは、

喜びも格別で嬉々として交信していた。

同行者が6mに出ている傍らで7MHzを運用することもあったが、

まだSSBをメインで運用していた時期である。

(今のようにコールサインの一部だけで呼ぶ人はいなかったと思う)

『移動≒50MHzでの運用』と思い込んでいた時期である。

2007年6月25日 (月)

移動運用(その2)

クラブの移動は一度だけ場所を隣町の牧場に変えたが、その年以外は15年位同じ場所に行っていた。

8月の第一土曜から翌日曜はその場所へ移動してFDに参加する事が定着した結果、

全国各地に散らばったメンバー、旧メンバーが予告なしに集まることも度々あった。

浴衣姿の男女が暗闇から突然現れて、「幽霊かっ?!」と思ったら、彼女との花火見物帰りの某氏だったり。

静岡から、50CCのバイクでやってきた旧メンバーがいたり。

残された少人数の会員でFDの移動を計画・実施するのは大変だったが、何とか継続して実施できているうちはクラブの存続に疑いを持つことも無く、クラブの存在意義もあった。

私も土曜に休みが取れず、仕事が終わった後急いで中央道を走って参加した時期もあった。

そうこうするうち、土曜の午前中から現地に行けるメンバーが見つからなくなり泣く泣く移動を断念。

数年後、土曜の午後からでも集まることのできる近場で再開したが、書類の提出やQSLカードの発行などの事後処理が停滞。

結局2年でそこからクラブ局として参加することは終わってしまった。

参加部門も「社団局」という形がなくなり、マルチオペでもクラブのコールサインである必要がなくなっていた。

更に、大半のメンバーが「現役」ではなく「セミリタイヤ」状態のため、運用技術が極端に低下。「迷惑なクラブ局」になりかけていることにも気づいた。

FDを現役復帰のきっかけにして欲しい反面、「あのクラブのOPは・・・・」という評判になっても困る。

相当悩んだ結果、当面シングルオペ個人局としてエントリーしながら、希望があればマルチオペにすることに決定。

そうしてからもう10年近くなるが、ここ数年はアンテナを共有した個人局2局がシングルオペで参加する形態になっている。

オペレーターが3名・4名と増えればマルチオペに戻ることもできるのだが・・・

2007年4月16日 (月)

移動運用(その1)

今ではライフワークの一つとなりつつある移動運用。

状況が許せば、1.9~430MHzのオールバンドでCW・SSBはもちろん、PSK・RTTY・SSTVも運用可能である。(あっ、FMもできる)

開局後しばらくは移動局は呼ぶのみだったが、地域クラブの活動の一つとして「フィールドデーに移動で参加しよう」という話が持ち上がり、移動機材の調達が始まった。

とはいえ、無線機は真空管式全盛の時代。

電源は工事などで使われる2KWだか3KWの大型の発電機をレンタルした。

自分を含め運転免許を持つものがほとんどおらず、某局は移動先の岐阜県瑞浪市と名古屋市を1日に何往復もすることになった。

先発で機材満載者に自分が同乗して現地で荷物を降ろし、彼は最寄りの瑞浪駅や釜戸駅へメンバーを迎えに行く。(その間自分は機材の番)

駅への往復も複数回したような記憶があり、仕事の関係で彼は一旦名古屋へ帰ったりもしていた。

勿論携帯電話などはなかった。

金曜の昼に先発隊が設営すると、その夜50MHzで土曜から参加の後発隊とスケジュールQSOを行い忘れ物や不足機材の請求をするというスタイルだった。

汗まみれになって移動先の開墾をしたのも、遠い思い出になった。

50MHz(勿論AM)では、59オーバーで入感する3・4・5エリアからのパイルアップに狂喜し、

夕食そっちのけでマイクを握っていた者もいた。(発電機が止まった後もハンディー機で運用を続けていた)

メンバーの都合で金曜の夜に到着した年は、土曜の早朝に雷雨に遭遇。

稲光の中、何とかの馬鹿力で発電機や無線機を1km近く先の展望台に避難させた。

大変な目にあったが、以降はその展望台で運用することが恒例となった。

坂道を登るのは苦しかったが、展望台にブルーシートを張ると狭いテント内での運用とは比べ物にならないほど楽だった。

またメンバーが一同に会して運用できるため、非番の者は雑談やゲームに興じることもできて一層楽しみが増えた。

ちなみに当時の我々のゲームと定番は「スクラブル」!

CQコンテストは別のメンバーに任せて、「一杯やりながらのスクラブル!」ということも多かった。

自宅では絶対不可能(と思っていた)1.9MHzに出よう!と言って、藪の中にフルサイズD.P.を張った年もあった。(当時は1.9でもコンテストに出られた)

クラブのFDの話は尽きない。

個人の移動運用の話などはまたの機会にしよう。

2007年3月25日 (日)

QS-500

トリオがケンウッドになる直前、「ケンクラフト」ブランドで出された50MHzのSSB機。

TS-311やTS811の50MHz版のような感じだが、ユニークなのはキットだったこと。

キットとはいっても、各ユニット(基盤)は組み立て済みで、ユニットの結線+αで完成するというもの。

自分は、本ブログで何度も登場している599ライン所有の友人が購入し、組み立てたものを譲り受けただけで、作る楽しみを享受できてはいない。

自宅にルソーの6エレを上げていた時期なので、スキャッタで1エリアと多く交信した無線機でもある。

CW時にサイドトーンがなく、エレキーが使えなかったのでモニタを自作して内臓させた。

今ではサイドトーンどころか、エレキーも内臓している機械がほとんどである。

自分の50MHzのSSB(CW)機の変遷は、

最初は310ラインをローカル宅で触り、

FL&FR400+FTV650で出始め、

FT620Bで移動運用も行い、

QRT期間をはさんで長期活躍したTS600。

HF+6m機ばかりとなり、CWフィルタのないTS600ではコンテストのQRMに勝てず泣く泣く引退。

何度か修理しても不調で、遂にはICOMに丸ごと交換させたIC756(まだ現用中)。

QS-500は400ラインとFT620Bの辺りで併用したはずだが、正確にはログを見ないと分からない。(調べてみよう・・・)

2007年3月22日 (木)

ダブルダイバシティー

自作したアンテナの中では一番大規模なのがこれ。

X字型に交叉させた2本の八木アンテナを位相給電したもので、

自分の作ったのは50MHzの3エレ×2だった。

最初に作ったHB9CVと同様、ジャンク品のマスプロの八木アンテナの部材を使って作った。

構造としてはクロス八木なので、3エレといっても結構大きく、エレメントは6エレ分あるのでかなり重い。

風でゆれると倒れそうに見えたため、家族から「早く降ろせ」と言われたこともあり、実際に使用したのは1月くらいだった記憶がある。

印象的なのは、出力3W程度のTR5000でJD1とできたこと。(もちろんAM)

かなりのパイルアップになっていたが、数回コールしただけで応答があった。

連続して2局できたが、以降長い間「50MHz AMで唯一の1エリア」になっていた。

一時期2mあたりで「クロス八木」が流行していたが、これも見かけなくなって久しい。

2007年3月14日 (水)

HB9CV

現在も色々なバンドで使用されているアンテナであるが、自分も6m用に沢山作って使った。

最初に作ったのは、ローカル局からもらった八木アンテナのパーツを組み合わせたもので、エレメントブラケットの固定は針金という代物。

調整完了後黒の塗料を塗って竹ざおに取り付けてみると、丁度Eスポが発生中。

面白いように7・8エリアと交信できた。

このアンテナでなくても多分できたのだろうけれど、鮮烈なデビューだった。(と思っていた)

その後分解できない構造にもかかわらず、ローカル局の所を転々。

特に局面待ちだったN君は、TR1100との組合せで数百QSOした。

L型アングルで折りたたみ式のものも作ったし、ローカル局からの依頼でも数基作った。

当時は「HB9CVはエレメント2本のもので、導波器や反射器を追加したものはHB9CVではない」と言うOMがいて、何々スペシャルとか呼んでいた。

今では「○エレメントのHB9CV」と言っても、誰からもクレームはつかない。

現在当局の6mのアンテナは、「4エレのHB9CV」。(笑い)

IC-71

前にも書いたが、開局当時の6m(AM)の無線機は送信機と受信機が別々の構成で、

トランシーバーといっても、送信機のVFOの周波数と受信周波数を合わせるには

毎回キャリブレーションが必要だった。

それを最初に覆そうとしたのがTR-1100だが、ダイアルは1つであるものの

「プッシュアンドターン」というキャリブレに近い操作が必要だった。

完全トランシーブを実現したのが、井上電機(現ICOM)のIC-71。

しかも、スカ6やTX-88Dのような真空管機しかなかった出力10Wというハイパワー(?)。

広帯域アンプはまだ普及していなかったので、送信部のチューニングが必要なため、

SWRの高いアンテナだったり、調整が不十分なまま送信していると

ファイナルの石を飛ばしてしまうことが高価以外の唯一の欠点。

(FM時のスケルチは酷いものだが、我々AM族には関係なかった)

高校の同級生のYL局が購入し、30mHのダイポールとの組合せで連日パイルアップを巻き起こしていた。

そのIC-71は、彼女が大学進学で名古屋を離れるとき預かったまま現在も当局のシャックにある。

たぶん再び灯を入れることはないだろうけれど。

後発のTR5200(トリオ)に比べると機能はシンプルで、デザインもすっきりしていた。

50MHzAM全盛期を支えた名機といってよいだろう。

FT-400S

新規購入したFT-200Sで7MHzや21MHzに出ていたが、

難点はCWフィルタを装着できないことだった。

徐々にCWを運用する比率が上昇していた時期で、

ローカル局の所のFT-DX400のCWフィルタの切れ味を体験後、「自分もCWフィルタが欲しい!」と強く思うようになった。

そんな折、友人の友人がFT-400S+FV-400Sを手放したいと言っているとの情報をキャッチ。

具体的に使う予定はなかったが、「外部VFO」も欲しくなって購入を決意。

FT-200Sを売り払って入手した。

実際は400SにCWフィルタは入っていなくて、フィルタの現物はCQ誌の売買記事から入手した。

結果は大満足。

一層CWにのめり込むことになった。

今考えると、モードをCWにすると自動的にフィルタが入るため、

CW運用時はワイドにできない状態であったが・・・・

FT-200

開局時、友人が購入していた無線機。

今では、家族以外の無線機共用はNGのようだが、

当時はどうであったか?

ともかく、申請書類記載の当局の正式(?)無線機だった。

IFが9MHzと高く、受信機はシングルスーパー。

VFO(5MHz台)との足し算・引き算をする関係で、

3.5と14MHzでは周波数のUP/DOWNが反対になるという点もユニークだった。

その後、個人として別のFT-200Sを購入。

予算不足のため、電源を自作したのも良い思い出。

(真空管式テレビのトランスを使った)

オークションで時々見かけるが、購入するほどの回顧趣味はないし、

第一、置く場所がない!

現在FT-2000が販売されているが、当然全くの別物である。

2007年1月18日 (木)

Skyelete6

開局後間もなく購入した懐かしい無線機。

ちょうど50MHzのAM全盛期であったが、

主流はTR1100やFD-AM3といった1Wのハンディー機だった。

今でなら皆QRPだった訳だが、この「スカ6」は真空管の機械で出力10W。

ファイナルは2E26で変調は6GW8PPというものだった。

上記のハンディー機同様、送/受の周波数が別々で

送信する時はキャリブレーションを取るというタイプである。

旧名称は「パナスカイマーク6」であったのが、「パナ云々」という部分が

某家電メーカーからクレームがついて改称したという話を先輩から聞いた。

周波数安定度が悪いという欠点を少しでも修正するため、

定電圧放電管を追加し、ノイズを減らす為高周波増幅の6CW4(ニュービスタ)を3極管結合に改造したのも懐かしい思い出である。

スタンバイ時の異音を防ぐ為、PTTスイッチにマイクを切る接点が入っていて

PTTを押す指が緩むと、送信状態でもマイクが切れて無変調となることもしばしば。

それを防ぐ為、ネオン管による変調のモニタランプも追加した。

逆に使うことのないDC-DCコンバータのパワートランジスタを1個はずして

DC12V用AVRの自作に使ったりもした。

オークションで時々見かけるが、結構良い値段がついている。

使い道はほとんどないと思うのだが・・・

2006年12月20日 (水)

JA2YDP

入学した高校にあったクラブ局がJA2YDP。

高校受験のためQRTを余儀なくされていたこともあり

とりあえず入部した。

なぜか他の同級生の入部者はYL3名だけで、免許取得者は自分一人だった。

3名のYLは、翌年JR2BYZ,JR2CSP,JR2DNCで相次いで開局。

「花の高2トリオ」として一時名古屋地区の6mで話題となった。

彼女たちが先輩から電話級取得の教えを受けている傍ら、自分は電信の手ほどきを受けていた。

「アマチュア無線の本流は電信にあり」「電信のできない者は半人前」のような洗脳に近い教えを受けたことは、結果として大変ありがたい事であったといえる。

勿論当時の送信機はTX88Dに代表されるカソードキーイングで、サイドトーンなどはなく、勿論縦振り電鍵しか使ったことはなかった。

多くの高校・大学のクラブ局同様、JA2YDPも廃局になって久しい。

2006年12月19日 (火)

先輩

実際にアマチュアバンドを聞いたのは、

家にあった6石の2バンドラジオで聞いた7メガのAMだった。

しばらく聞いていた後、SWLというものがあることを知り

「JA2-SWL」でレポートを送り始めた。

間もなくJARLに入会しSWLナンバー(JA2-5177)を取得した。

その頃同級生のTも開局準備をしていることを知った。

Tは親からFT-200を買ってもらっていた。

自分もそれに便乗し、自作の50MHzAM送信機と合わせてFT-200で開局申請をした。

このFT-200が何故か100W機で、電話級の我々が開局申請するには10Wへの改造とその証明が必要だった。

ファイナルの6JS6Aの片方のプレートキャップへの配線を外し、

電源トランスのタップを変更した。

FT-200でよくQSOを聞いていた近所のOMの一人、JA2WAE三浦OMに改造証明をもらうことにした。

三浦OMの家にはそれまでも時々お邪魔して、「CQ DX! This is JA2 Worked All Europe」というのを「カッコイイ!」と感激しながら聞いていた。

当時三浦OMは高校生だったのだが、後に自分が同じ高校に入学したのは全くの偶然。

さらに大学を出た後交信したJE2WAEも同じ高校出身だったのも凄い偶然!

関東の大学に進まれた後も、FTV650をまねて作ったトランスバータ(FTV651!)を見せてもらったり、随分長い間お世話になった。

今もお元気でしょうか?

恩人

アマチュア無線のことを知ったのは、小学生のころから購読していた「子供の科学」から。

ちょうど叔父の家族も模型やらラジオやらの製作を楽しんでいて、

夏休みに叔父の家に泊まって免許取得の勉強もした。

一番お世話になったのは長兄の従兄弟(JA2QPW)で、

工学と法規の勉強だけでなく、ラジオや無線機の組み立ても教えてもらった。

叔父も少し遅れてJA2WCKで開局したが、何故か2mのFMばかりやっていたので

交信する機会は得られなかった。

JA2QPWもJA2WCKも既にサイレントキー。

ここまで長く楽しんでいることを喜んでいてくれるだろうか?

原点

1970年の年末、局免が届くのを首を長くして待っていた。

同時期に従事者免許を取った同級生の所には、JH2BCQというコールサインが発給され、TS510で21メガに出ていた。

友人Tと私の所にはなかなか届かない。

ちょうどJA2コールが無くなった時期で、「あと半年早く免許を取っていたらなあ・・・」と言いながら「JH2」のコールサインが届くのを待っていた。

思えば、SWL時代から親しんだHFのAMもほとんど聞かれなくなり、コールサインまでJA2がなくなってしまった。ちょうど時代の変わり目だったのだろう。

そして遂に、Tの所にはJH2CLD、私の所にはJH2CMHの免許が届いた。

ちなみに現在のJH2CLD局はTではない。

とりあえず

中学生からの趣味「アマチュア無線」に関する極めて狭い世界のブログです。

HP(http://jh2cmh.idou.net)に2つ掲示板があるのでブログは不要と思っていましたが、

ものは試しと思って作ってみました。

HPにリンクを張るまでに発見されますかどうか?

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